2012.01.21
108.ガーッ、シューッ、ドッカーン
◆都制度はウマイってホンマケ◆
戦後の自治制度を設計してきた地方制度調査会が、大都市制度についての議論を始めた。政令指定都市を消滅させて都道府県の直轄地にする、俗に言われる「都構想」という言葉が注目された影響なのだろう。軸になっているのは大阪維新の会という地域政党が唱える「大阪都」の構想。大阪府が大阪市を抱き込めば、大阪の発展、さらには日本の発展につながるのだという触れ込みだ。本当にそうなのだろうか。ダウンサイジングの屋上屋という無茶振りに終わりそうな気がするのだが。
大阪都構想のお題目は色々並んでいるが、実のところ、まだ想うだけの段階で構想の具体的な中身は曖昧模糊としている。概括的なお題目は、大阪市が担っている大都市行政を大阪府が広域行政の中でやる。大阪市下の行政区は「中核市並」っていう何だかわからない行政体にして公選区長と議会を置くというものだろう。残りは、別に「都」でなくても、できるのではないだろうか。
このお題目が示すのは、現在の大阪市が消滅し、大阪1市のエリアに10~12程度のバラバラな「中核市並市」が誕生すること。現在1人の市長が10~12人に増え、1つの議会も10~12程度に増えることになる。そのうち、現在の大阪市エリアは、4年間に10回以上20種以上の市長・市議選挙が行われる選挙都市になるかもしれない。
行政面からは、大阪1市であれば可能な調整された総合行政も、10を超える行政体になれば一体感感存在感を失った虫食いエリアになってしまうのではと心配だ。そこを国と自治体の中間に位置する大阪府が「広域行政」の名目でカバーするという構想なのだろうが「?」である。
大阪市などの政令指定都市の権限は都道府県と同格で、極端に言えば、市と府の呼び方は違うものの、今の大阪市は都道府県なのだ。つまり、大阪府(大阪市)を消滅させて、大阪府の広域行政に組み入れると言う意味が「?」なのだ。大阪市と大阪府を合体するならば、都道府県合併と同じ手続きが必要だろう。
ちなみに、大胆な言い方になるが、政令市が都道府県と同じなのは、都道府県の事務権限の根拠を書いた国の法令で「都道府県と政令市」と併記し、都道府県条令に「政令指定都市を除く」という一文を加えることが多く、都道府県の権限は政令指定都市に及ばないためだ。その裏返しで、政令指定都市は都道府県の権限を持って都道府県と同じ仕事をしているという格好になっている。都道府県よりも凝縮した地域で都道府県と同格の業務をこなし、さらには生活と密接した住民サービスも行っているのが、政令指定都市という訳だ。
住民サービスは今後も外されないだろうが、仮に大阪都になると、この大阪府と同格の行政権は奪われ、権欲市長が知事時代に喉から手が出るほど欲しかった大阪市の市民・法人が払う税金も持っていかれる。「中核市並」っていうよく分からない行政体と大阪市エリアの行政も大阪府が直轄する大阪都が、合わさった自治機構の中で一体どんな自治を描いているのか、考えれば考えるほど土壷にはまる。
とまで言わなくても、中核市というのは、現在の大阪市の政令指定都市ほどの権限は持てない。権限と、権限と裏表の財源を奪われ、一体感も失えば、大阪市は現在の大阪府下40以上の市町村の中の一つに成り下がり、存在感の薄い自治体になるのではないか。
4年間に10回以上20種以上の市長・市議選挙が行われることになるというのは笑い飛ばせるかもしれないが、考えるべき問題は多様にある。最初に不安になるのは、防災や安全にかかわる消防だ。現在の大阪市は市消防局が一元的に指揮しているが、10~12程度の中核市並っていうよく分からない行政体になった時に、消防はどうするのだろうか。
消防も、やっぱりバラバラにして、それぞれ消防本部を設けるのだろうか。大都市は意外と長い歴史の中で人口を積み上げており、コンクリの高層集合から木造戸建や昔風の住宅、人口密集と狭隘道路と交通量と鉄道、地下街、ゲリラなど、大都市の消防は少し特殊な機能を持たされている。それだけ金もかかるが、現在1つの高機能な市消防本部を10以上つくることになるのか。それとも、現在の大阪市エリアだけを対象に、大阪都が火消しをやるのか。大阪市消防局を消滅させた後に大阪市並消防局を事務組合でつくることになると、ホンマのお笑いになる。
さらには、公衆衛生分野の保険所はどうするのか。健康や食品安全などを受け持つ保険所は都道府県と政令市は設置義務がある。当然大阪市にもある。並っていう「中核市」は「できる」規定だったような気がするが、行政格差を生まないために10~12程度新しくつくるのだろうか。ちなみに、特別区の東京23区は各区が設置している。人の健康にかかわる行政権を行使するのだから、国家資格所有者で、こちらも結構金がかかる。
給与問題が注目されている廃棄物処理も同じだろう。炉はどうする、自区内処理の原則は・・・。10~12程度の行政体も各々で、ゴミと向き合うことになる。自分のものなのに皆に嫌われる廃棄物行政は自治体の基本事務なのだが、東京のとある市では軽く考えた市長の公約が仇となり、ゴミが街の路上にあふれる寸前までいったこともある。こちらも10~12程度の行政体が、大阪市を消滅させた上で、わざわざ大阪市がやっていたのと同じような大阪市並事務組合を作るのだろうか。
具体的な中身がない構想だからキリがないが、この程度のことはマニフェストやらに掲げて、有権者の判断を仰ぐべきだったのではないだろうか。口舌の集が上げた二重行政のムダは、政治の問題でしかない。というのも、都道府県と同格の政令指定都市内には市立があるだけでいいのに、わざわざ府立までつくるのは、それをつくる府の問題で、突き詰めれば有権者が密集している政令指定都市の票目当ての府知事の問題だからだ。一昔前のように市立はそこの市民しか使えないようなことはなく、今は誰でも使えるようになっている。あとは運用の問題。
大阪の景気がどうしただの、発展がどうしただの、経費削減でいくらもうかるというのは、どこかの政党のマニフェストやらと同じで、有害無益のリップサービス。絵に描いた餅が食べられるのであれば、国民生活も世界経済も、こんなに苦しくはない。経費削減による財源捻出なんて5年から10年で底を突くのだから、恒常的安定的財源にはならない。
真偽は確かめていないが、日本の人口は、倍増した期間と同じ期間をかけて元に戻るという予測があるらしい。その期間というのは、長いようで短い。当時の日本は都市国家だった。長いようで短い期間を見据え、井戸端会議から発展した住民自治と都市機能を強化すべきなのか、国家統治の出先機関から始まった都道府県の機能を強化すべきなのか。補完性の原理も含めて考えれば、方向は自ずと出てくるはずだ。
それでも大阪に限らず都制度を入れるなら、地域限定法でテストすればいい。長いようで短い期間に分かる答えが身にしみるだろう。
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2010.12.18
107.どんぶり感覚
◆立ちくらみを覚えた、今年の自治◆
どんぶり感覚で今年の自治をあらわす感じは「蝕」と思う。2つの京の中間団体で、議会の解散請求が最終的に成立したらしい。ここまで住民の自治感覚が蝕まれ、ここまで自治って何かが考えられていなかったことには、正直落胆した。九州の凝りね団体もあって、年末というのに、蝕ショックで気持ちは晴れない。
九州の凝りね団体はさておき、2京の中間団体の首長の言い分は、さっぱりもって理解ができない。首長の下手な芝居は一旦忘れて、なぜおかしいのか考えてみた。
記憶だけで振り返ると、発端は、確か「減税」だった。今も一つ覚えのように「減税」といっているから、多分そうだろう。その減税を選挙の公約に掲げて当選したが、議会が賛成せず、二進も三進もいかなくなった。そこで、「首長に逆らうとはけしからん。自分に反対する奴らはクビ」とでも言いたげに、議会の解散を主導したというのが経過だろう。「自分に逆らう奴は・・・」と考える精神構造は九州の凝りねと同類だ。
中間団体の首長様は議会なんぞ無くしたいのだと思っていたが、そうではなく、よく話を聞くと、自分の政策が「素通りする議会」を作ろうというのが本音のように聞こえる。審議・議論もせず「我思う、ゆえに正しい。皆に従わせろ」という独裁者ほどではないが、「自分に歯向かう奴はクビ」的な発想は粛清で恐怖政治と言える。結果、解散後選挙で選ばれた市議会が、北などに例外的に残っている首領にただ頷き、首を縦に振る「形ばかりの議会」になるのではないだろうかと心配だ。それが、現在の悪弊だらけの議会よりもマシになるという首長様の理屈には簡単に頷けない。
対決の素だった「減税」も、異論反論が出るのは当然だろう。おそらく「減税」と言えば、日本全国のほぼ全ての有権者が賛成するのは間違いない。個人的には、あっちでも減税、こっちでも減税で、自治体間で減税合戦でも起きてくれないだろうかと期待するが、その結果、何が起こるかを想像すると、とても減税にもろ手を挙げて賛成する気にはならない。減税合戦の末に自治体のお金がなくなったら、国や銀行から借りればいいが、日本国中が減税で金欠になれば、借りる相手は外国。経済財政的に日本は外国の統治下に入ってしまう。
そのためかどうかは不明だが、税は住民の直接請求の対象にはできない。分かりやすく中間団体を例にとれば、今回も議会の解散請求ではなく、単純明快に「減税に○か×か」の住民投票をやれば良いはずだが、それはできない。おそらく、ほぼ全ての有権者が減税に○するのは明白で、その結果、上のような結末になるからかもしれない。
話はそれたが、そもそもこの中間団体は、今減税を口にできるような財政状況なのだろうか。2つの京の間で栄え、世界のトップ企業の好況で潤ったという昔話は聞くが、現状は他の自治体から生活保護を受けているのに等しいのではないか。生活保護だから、収入を減らそうと発想すること自体が不思議だ。口汚く言えば、他の自治体が与えている生活保護をあてに、自分たちだけ減税するなである。そういう減税に異論反対を口にする議員がいてくれて良かったという気もする。
議会を擁護する気は全くないが、議員報酬カットも?だ。簡単にするが、議員報酬半減による単年度の削減総額を納税者数で割ると、納税者1人あたりが期待できる減税額が計算される。実際には、独自の減税導入のための計算センターのフォーマット変更などの諸経費も発生する。その減税額で、贈答用のウイロウ1箱は買えるのか? お年玉袋に札束を入れることができるのか? 議員報酬カットで、過大な幻想を持ち過ぎない方が、後悔がすくなくなる。議員報酬は「姿勢の問題」「良識の象徴」という、つかみどころのない問題でしかない。
長くなったが、「自分に逆らう奴は怪しからん」という首長様の発想は、民主主義と自治の破壊につながりかねない。確かに首長は選挙で選ばれた、政策が支持されたと無理して言えなくもない。しかし、同時に議員も選挙で選ばれ、政策が支持されたと無理して言えなくもない。この部分は同等である。共に住民の代表で、2元代表制という。
が、「代表」の意味が若干異なっているのだと思う。首長1人しか当選できないので「市民の代表」ではあるが、その裏で死票が大量に生まれる。極めて単純化した計算で考えれば2人で首長の座を争うと有権者の49%の声を反映しない。裏返せば49%の切り捨てが発生するということだ。再度言うが、これは極めて単純化して考えると、そういう言い方もできるということ。一方の議員は、各地、各界、各団体・ネットワークの各層の「代表」で、多様な意見があり多様な議論ができる機関だ。首長が切り捨てる死票も、議会の場で細か主張されることが理想だ。
だからこそ、議会は悪弊を無くし、議論、討論を盛んにする「強化」が不可欠。首長の提案を議論もなく素通りさせる居眠り議会、首長の言いなりになる腑抜け・たわけの議会を変えることが、本来の議会改革のハズだ。
誰もが賛成するであろう減税と、誰もが感じている議会の悪弊と。この2つで人気取りは確かにできるが、その先で、何が生まれるのか。自治の退廃が進まないよう、じっくり考えすぎていたら立ちくらみがした。
2010 12 18 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (2)
